上田岳弘『ニムロッド』

 

第160回芥川賞受賞 ニムロッド

第160回芥川賞受賞 ニムロッド

 

 作者の上田さんはタイトル『ニムロッド』をPeople In The Boxの曲名から取ったという。それを受賞会見で聞いて驚き、大変に嬉しかった。それはなぜかというと、僕が以前より上田岳弘の一読者であり、別の分野でのほぼ同年代の作家として尊敬していたからだ。まずピープルを聴いてくれていたことも驚いたし、公言してくれたことも更に嬉しかった。とはいえ、いうまでもなく当然のことだが、内容に関してはまったく同曲とは別のものなので、僕自身、読み始めたときにはそれらのトピックは完全に意識外にあったということをことわっておきたい。

 わざわざ野暮ったく前置きを書いたのには理由があって、ひとつはタイトルがピープルの曲名に紐づけられ話題になったことはどうでもいいくらい作品が素晴らしかったこと。うまく形容することは到底できないけれど、まさしく物語というかたちでなくては表現できないことが、ふさわしく美しい造形で表されていると思った。これまでの上田さんの作品のなかで最も好きかもしれない。

 そしてもうひとつは、僕の受け取った限りで、この『ニムロッド』という作品に、もし総体として表そうとしているものがあるとすれば、また世界に向かって投げかけているものがあるとすれば、おそらくいままさに制作中のPeople In The Boxの次の作品のとものすごくシンクロしている。モチーフや筋書きというよりは、根っこのようなところが極めて近い気がする。完成、発表を経て結果的にそうはならないことも可能性としてはあり得るけれど、まだ作品が出来上がっていない現段階で、そのシンクロニシティーに戦慄したことを書いておきたかった。

 上田さんと僕は、表現方法は異なるものの、似たような入射角で時代をみているのではないかと感じた。同じ時代に共鳴していると感じられる作品に出会えたことがとても嬉しい。僕も頑張らなくてはと、背中を押される気持ちになった。

波多野裕文 - The Cheat(2000)


波多野裕文 - The Cheat (Audio Only)

 

 昔に録音したもののなかには、手元にあるものとないものがある。僕が10代後半の頃はまだパソコンが高価だったから、4Trackのテープレコーダーから専用のデッキでCD-Rに録音し、人に聴かせるでもなくただひたすら保存するということをやっていた。それなりに録り貯めたものはハードを移行していくなかで取り出せなくなったり、どうでもよく感じたりで失ってしまったものが多い。今思えば面白い習作満載だったのでもったいないことをしたと思うが、仕方がないと思うほかない。

 この19歳くらいの頃に作った『The Cheat』は残っている音源のなかで今聴いても感心してしまう部類のものだ。

 これは同名の無声映画を部屋に投影しながら、リアルタイムにギター演奏を重ねていくというコンセプチュアルな録音。2本目のギターと3本目のベース(こちらはドラムスティックで叩くだけ)は映像だけでなくあらかじめ録音された1本目のギターに対しても反応して演奏している。僕はかつてこういうことを恥ずかし気もなく真剣にやってしまう19歳だったのだ。とても未熟で稚拙な作品だけれど、今の自分がいつのまにか失ったものが確かに刻み込まれている。それを取り戻したいとは決して思わないけれど、少しだけ悔しくも感じる。

本能と制度

 チェンナイ、マイラポールという地区の道路の交差点には信号がない。というか、僕が歩きまわった限りでは、都市エリア以外のインドでは信号に遭遇するほうが珍しい。日本に信号が多すぎるのもあるとは思うけれど、片側2車線ずつ計4車線(塗料が剥がれていて車線という概念も疑わしいが)の道路にはおびただしい車とオートリクシャー(三輪バイクタクシー)が走っていて、あきらかに交通量と見合っていない。クラクションの凄まじい騒音がけたたましく響きわたっている。どうやらクラクションは周囲に注意をうながすだけではなく、存在を周囲に伝えるということにむしろ重点がおかれているようだ。四方から車が、バイクが思い思いの方向を目指して交差点の中央にひしめいている。さらにその混沌とした流れのなかへ人が横断すべくわらわらと歩いていく。よくよく見れば驚くべきことに速度こそ出てはいないものの、信号のない交差点の渦は淀みなく動いている。カオス状態のようにみえて、滞りなく秩序が成立している。その場においては日常的な光景のはずが、僕にとっては壮観だった。

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 インドでのこの交差点における秩序は何に依拠しているのか。観察してみると、運転手も歩行者も、車や人の運動への反応が早いことに気がついた。運動体の速度と大きさを的確にとらえ、速度や進路をその都度素早く決定している。ひとつひとつを注意してよく見ているというよりも、全体の流れを感覚で包括的に認識しているようにみえ、ふとそれは魚の群れが水のなかで泳ぎながら決してぶつからない光景を想起した。交差点を眺めながら、動物的感覚によって秩序を保っているそのありように感激してしまった。もし日本で同じくらいの交通量の交差点に信号がなければ、どうだろう。おそらく混乱状態におちいってしまうのではないだろうか。

 信号というのはつまり制度で、容易に変更することは不可能であり、その変更不可能性による信頼によって、誰もが則るという前提で成りたっている。それで運転手や歩行者がそれを遵守する限り安全が保たれるわけだけれど、極端にいえば、それには信号の向きと色を判別するだけのわずかな感覚が必要なだけである。周囲に車や通行者にはたとえ注意をはらわなくとも、その場にいる人が信号の指示にしたがいさえすれば滞りなく交通が行われる。それが信号の仕組みであり制度化の目的だ。

 一方、信号のない交差点ではその場の人々が共通に頼りにできるものはなく、感覚できることを最大限に感覚し、またそのように感覚していることをお互いに前提として相互的に絶えず反応しなければならない。それは制度に甘やかされた現代人にとっては緊張を伴うことである。けれども裏を返せば、インドの交差点のように人々の感覚が開いた状態が常態化した場合はどうだろう。

 制度というのは予測不可能なことに対して脆弱である。例えば幼児がふらふらと交差点に迷い込んできたようなとき、その瞬間にも信号は存在意義を失ってしまうように、制度というのは予測不可能なことはそもそも前提に入っていない。しかし事実として、現実世界では予測できないことが実際に起こる。そのような状況、予測不可能なことが起こって頼るべき制度がなくなってしまった状況に直面したときに必要とされるのは、包括的に状況を瞬時に認識して周囲と相互的に反応すること、つまり動物的な感覚が開かれた状態であることだ。それは予測不可能性を許容し包摂し、さらにそれが常態化すれば、制度に依存しない秩序を同時に立ち上げることもできるのではないだろうか。

 インドの交差点をみてそのようなことを考え、興奮した。予測不可能なことに対してどう向き合うかという問題への大きなヒントの気がした。制度に依存しながら、もうひとつ別の思考のなかでは制度を乗り越えていく、そんなことを最近考えている。

躁的/鬱的

 資本主義が宿命的にもたらす富の格差は、これから人を躁的なありようと鬱的なありようの二分化をさらに加速的に広げていくのだろうと思う。それは実のところ対称的なようで対称的ではない。というのも、躁的な振る舞いは野心や攻撃として可視化されることはあっても、鬱的なありようは構造的にも原理的にも可視化されないからだ。つまり、表面的には世界は躁的な状態で埋め尽くされていくのだと思う。

無関心という緩衝地帯

「愛の反対は憎しみではなく無関心」という言葉を、誰がどういった意味で、どういった文脈で言ったのか、僕はよく知らない。ただ、その言葉を借用し、他人への促しとして流用するとき、情報過多の現代ではそれは的を失った言葉のように聞こえる。 どこかから声高に唱えられ眼前に置かれた議題のみを皆でシェアし、それ以外については盲目でいる様子は強迫的でさえある。 憎しみを遠ざけるための無関心が緩衝地帯として存在してもいいはずだ。興味がない、と表明することで守られる情動、得られる平穏もあるのではないだろうか。 目を背けてはならない、というその囁きに、誰も責任を持ってはいない。 私たちは何気ないユーモアを探すことに残りの時間を費やすべきだ。

(2018.04.27)

はて、本質

本を読んでいて、「ヴェールを剥がさないまま本質に触れる」って素敵な表現だと思った。

ふと。この時勢において、本質とはなにを意味するんだろうか。戦争やら死刑やら、特例によって殺人が許されている世界でどんな本質と向き合えるというのか。

ぼくはどんな音楽をつくろうとしているのだろうか。音楽が感覚へと直接的に働きかけるものであるとするならば、歌(歌詞)は間接的であるのが、ぼくにとってのマナーまたは品格のようなものにおもえるときがある。果てはスローガンに接近しかねないシンプルなメッセージは、その周辺の問いを見えにくくさせることが少なくない。その問いこそが僕にとっては重要に思える。それははっきりとしない、なにかよくわからない塊を美しくデザインすること。そしてそこには自ずと自分がもてる限りの良心が並走することが望ましい。それはとても難しく、できたためしがないけれど、一度きりの人生で、のんびりとでもトライする価値はある。

これらは何が正しいとかではなく、個人的な志向の話。

(2018.04.19)

青木裕

 青木裕という人は、創作において、すべての近道を退ける、ずるいことを決してしないひとだった。ぼくはこれまで、あれほど誠実で自分に厳しいひとをみたことがない。ぼくにはそれが少し怖くさえあった。絶対に彼の真似はできない。理想の実現や葛藤と真正面から向き合ってきた、不器用なひとでもあったと思う。

 初めて彼に会ったとき、downyは活動休止中だった。水戸ライトハウスunkieとの共演で、楽屋でファンだと緊張しながら伝えると、目の前でおもむろにギターを手にとって「アナーキーダンス」、「△」、「漸」を惜しげも無く弾いてくれた。ぼくにとってみれば現在に至るまでdownyはヒーローのような存在で、ほとんど放心すれすれで喜ぶぼくを見て、裕さんも目を輝かせて喜んでいたのがわかった。

 あんなに澄んだ目をしたひとをみたことがない。

 凄いひとだった。彼を知る人は、寿命を全うした人間の平均的な一生の数倍以上の濃度で激しく生きたことを知っている。青木裕という人間を知っているというだけで、ぼくは創作においていい加減なことは決してできないことを念押しされるような心持ちになる。そういう意味において、彼はまだ現実に生きている。