年末/クイズ/いか大根/2015/欺瞞/未来は明るい

 12月は僕にとって鬼門とでもいうべき季節だ。その理由を言葉にするのは難しい。故郷にいた頃に感じていたぼんやりした不安や焦りとか、居場所のなさとか、もっと深いところにある謎めいた疼きとか、そういったものが匂いの記憶のように、実感としてまとまって12月にカムバックしてくる感覚になる。単純に気候の変化で精神的に弱ってしまうだけかもしれない。  どうやらそういう人は僕だけではないような気がする。そういう同じような友人を知っているし、街の雰囲気もどことなくおかしくなる。  年齢を重ねることのよいところであろう、そうなることをまえもって覚悟するようになってからは、軽度の落ち込みで済むくらいには12月を手なずけている。下手するとちょっとした混乱くらいなら楽しめる。さらにいうとそういった混乱を解析していく作業は、音楽を作る作業と重なるところは間違いなくある。つまり、たいしたことではない。

 身のまわりでおこることには、公的/私的であれ、大規模/小規模に関わらず、とことん悩まされる。すべてがその正体の全貌をみせぬまま、密接につながっている。超難解なクイズのようである。  それを解こうと足掻き続けることは、おそらく死ぬまで続くのだろう。そう考えると、ここら辺で肩の力を抜くことを覚えないとまずいくらいに、人生は長期戦になるであろうということがここ数年でわかった。思考や感受に引退はないのだ。自分がそう望むかぎり。

 先日、初めてイカを調理した。イカの胴体に指を入れて連結部位を外し、足をつかんで内臓ごとひっぱり出す。テレビの料理番組で観ているとプロの手さばきもあってか簡単そうに見えてたかをくくっていたが、実際に生のイカを目の前にすると、それがつい数日前まで生きて海を泳いでいたことをおもわずにはいられなかった。イカの目は黒々と輝いている。内臓を抜き取り、胴体のなかに残った内臓をかき出し、軟骨を引っぺがす。放射状にのびる足の中心からくちばしを取り除く。  軟骨をはがすのに苦労しながら、ふと手が止まった。なんだかこれは凄いことだ。じわりと妙な気持ちが湧き上がってきた。こうして丁重に時間をかけて命をばらして、食べる準備をすることを人類はずっとやってきた。その果てしない時間の奥行きが一瞬あたまをよぎった。  イカの黒い眼差しがこちらを見ている。その目はなにも語ってはおらず、だからこそ僕はいま死を扱っているのだということを意識せずにいられなかった。そうすると、この瞬間に僕が課せられている役割はこの美しいイカの身体を、美味しい料理に昇華させること以外にないと感じた。  それは『食』ということの当たり前すぎるがゆえに気づかなかった根本的な凄まじさである。人間の業のひとつでもある。その行為はいろんな言い方ができると思う。文化論/宗教論/芸術論として。が、なによりそれが日常的に行われることが驚異的であり、僕は生活というものそれ自体が歴史や世界と大きくひとつ繋がった美しい行為に感じられて、とても豊かな気持ちになった。おおげさでなく、今更そう思った。  ワタを味付けにつかったいか大根、非常に美味しかった。

 それにしても、今年は素晴らしい一年になった。47都道府県ツアーをして、『Calm Society』『Talky Organs』という連作を製作、発表した。  この2作はとても鮮やかであると同時に、真価を発揮するまでに時間を要するはずだ。音楽と料理にはふたつの相違点があって、ひとつは音楽はなくても生命を維持できること、ふたつめは音楽は腐敗しないことである。それどころか時間を置くことによって別の旨みを発揮することすらある(そう考えるとワインは音楽に似ている)。この連作はそういった音楽特有の要素を十二分に含ませようと腐心した。「今」という時間だけを凝縮して詰め込んだから、後年どんな遠近感でみてもぼやけないでくっきりと見えるといいなと、そういう強い期待もこもっている。けれどもそれは時間を経てみないとなんとも言えない。

 目に見えないことを大きく見せたり、もしくは存在するものをないようにあつかったりということを人は平気でする。ほとんどの場合、それは無意識だろう。もしくははじめは仕組んだことでも、他人が信じてしまうことによって自分自身までもがそう信じきってしまう場合も少なくない。  それは、欺瞞・虚偽であるということに自分自身で気づかねばならない。しかし、自らの虚偽を摘発するほど困難な事が他にあるだろうか?自己認識を揺るがすリスクをはらむそれは、ほとんどの人とっては不可能であるかもしれない。  だから、自分自身が正義であると嘯く相手には気をつけねばならない。その人物は自らの誤りを疑える度量はない。  ぼくは世界情勢からそれを知った。歴史上、国家間の対立/宗教観の対立は正義VS正義の図式であることがまあまあ気を重くさせる。

 しかし。僕たちが望むかぎり、未来は明るい。