新年のごあいさつ

 年をとるにつれて変わっていくタイプの人間と、ほとんど変わらないタイプの人間がいるとすれば、僕は確実に前者だと自覚している。確固たる自分というものがこれまでの人生であった試しがない。そういった核のようなものが欲しいかどうかというと、欲しい気もするし、実はすでにある気もする。自分が変化の最中にある時にふと自分を導く力が働くのは、時間をかけて形作られた芯が存在する証拠なのではないかと思う。けれど、基本的には坂道のボールのように、転がって溝にはまってはまた別の坂道を転がる、そういう運動で運ばれてきた人間である。

 思いもよらなかったことだが、ここのところ独りで音楽を作っていると、はるか昔の感覚が身体に蘇ってくるのを感じた。シーケンサーに向かってコツコツと何十曲と曲を作り溜めていた10代の頃から、上京する前の頃くらいまでの感覚。それ以降は眠っていたように鳴りを潜めていた欲求というか、飢えのような感覚。血が沸騰している。いい年してバカみたいなこと書いてるな、と思うが、苦しいのと同時に嬉しい。

 もしかするとこれは自分の核のようなもののひとつではないかと思う。失われたこの約10年を経てやっと戻ってきた感覚はとても懐かしい。そしてもうどこにもいかず、持ち続けるものである気がする。なんとなく。ここに来ての、いろいろ経ての取り戻した感、あ、世界ってこんな感じだったかも感がすごくある。

 5年ほど前に、僕にとっての音楽は随分と意味を変えた。それまでの僕には音楽というのは言ってみれば宗教のようだった。それも原理主義的な危険なやつだ。大げさでもなんでもなく、24時間を音楽のために生きていたし、音楽があれば他のことはどうでもいいという気持ちで生きていた。音楽なしでは生きていけないという依存状態にあったと思う。日常生活も音楽以外には興味がなく、音楽が介在していない人間関係も一切なかった。

 ところがあるときにふと顔を上げると、自分の思っていた音楽というのは音楽ではなかった。音楽はたしかに存在したが、音楽のなかにはなかった。そこらじゅうに溢れていて、僕があえて音楽をつくる必要がないくらいに満ち足りていた。道端の花のなかに、ブロッコリーを茹でる鍋のなかに音楽はあった。

 僕におこった変化にともなって、それ以前に作った歌というのは、正直に言うと今の自分に共感できるものはもはや少ない。未熟である恥ずかしさなんかよりも、そもそもが考え方が違う人間の歌である。よってあまり歌いたくないときもあった。けれど昨日バンドで古い曲を歌っていて、不思議と心地良くて、そのときに、「ああ、もうこれは自分の歌ではないんだ」と決定的に思った。無意識に俳優として僕はこの歌を歌っているんだと気付いた。その歌を作った人のことを、この世で一番理解している人が自分であるから、歌うのに僕以上にうってつけの人はいないはずである。今の自分のことは理解できなくても、過去の自分のことは理解できる。ライブで昔の曲と、ここ数年の曲とで僕はふたとおりの歌を歌い分けている感覚はたしかにあったのは、そういうことだろう。それは表面上には気づかないはずだ。

 音楽と自分の関係性を、これから僕はすべて自分で決める。このあたりまえのことをやっとはじめる時期が来た。  音楽に語らせたいことが、今の自分にはたくさんある。最近僕が沸騰している理由はたぶんそれだ。とても小さな声で、とても抽象的で、とても平坦で、そんな慎ましいものであるといい。と同時に猛毒になればいい。一生かけてやることに決めた。時間はたくさんある。

 音楽は僕に並走するだろう。なかなか並んで走るのは難しいけれど、どちらかというと音楽が少し後ろを走っているのが今の自分には望ましい。まず生活( つ ま り 音 楽 そ の も の )を最高に楽しみたい。

 なんとなく抱負っぽくなってきたので、これをもって遅すぎる新年のご挨拶とかえさせて頂きます。

 バンドのライブDVD『Cut Four』が発売された。

 47都道府県ツアーのファイナル公演、新木場スタジオコーストでの演奏をノーカットで収録している。  じつは現在店頭で買えるライブDVDでは唯一。『Cut Four』はこれまでの映像になった演奏の中でいちばん胸をはれるものになった。ツアーの集大成というよりは、会場が広いだけで、ただの48本目という感じ。こういう演奏をいつもやっていますという感じ。僕に関してはミスもガンガン入っている(一箇所だけ直したのは秘密)。

 そしてピープルはテーマを設けた4ヶ月連続のマンスリーワンマンが渋谷クワトロで始まる。これまでのお腹いっぱい食わせるおばちゃん食堂タイプのワンマンではなく、個人経営レストラン的なライブになるといいな、何て思っています。僕が監修する5月公演はまあまあドープになる予定なので気安く来るんじゃねえ。つまり来てね☆