ポータブルオーディオプレイヤー

 少し前にかなり長い間使っていたiPod classicが壊れてから、外に出歩くときは仕方なくiphoneに音楽をぶち込んで聴いていたのだけれど、さすがにいろいろ辛くなって、聴く専用にポータブルプレイヤーを新しく購入した。中国製のFiiO X1。ちなみにiTunesが使いづらくて大嫌いなのでiPod Touchは考慮にも入らず。結論からいうと、iPhoneはやはりオーディオとしては僕にはダメだと思った。細かいボリューム設定ができなかったり、隙あらばクラウドに誘導しようとするところがまず好きではなかったけど、単純に音が偏ってる印象があった。聴いて比較すると一定量は確実に音が潰れてる気がする。  ここら辺が微妙な問題で、いい具合の潰れ方は聴感上はむしろ心地よかったりする。トラックダウンなどポストプロダクションの段階で敢えて潰したりもすることもあるくらい、それが一概に悪とも言い切れない。音質に無頓着な僕のような人にはときどきそれで音がいいと錯覚して聴こえてしまうことがあるほどである。  そうなったときの一番の犠牲は音の解像度で、ブーストされた帯域が前に押し出ることによって、奥まっている音が聞こえなくなったり、音の細かな凹凸が平坦になったりする。僕はiPhone(僕のは5s)がわざとそういうチューニングにしてあると勘ぐってもいて、ある種類のエレクトロニックミュージックなんかは気持ちいい。でも万が一、意図的だとしたら、勝手にそんなことしたらだめですよね、とも思う。  音の解像度の違いというのは絵で例えるならば、葉っぱの絵がふたつあったとして、ひとつは筆圧の強くシンプルで鮮やかな緑の葉、もうひとつは色は地味だけれど葉っぱの模様、葉脈まで書き込んである葉。どちらも葉っぱであることには変わりなく、違っていてもそれぞれの良さがあるが、後者に関してはその模様までしっかりと見えなければ良さは伝わらないわけだけれど、解像度が低いというのはつまり後者の葉っぱの模様が見えない状態をいう。  音楽の数ある魅力のなかでも上の例えでいう葉脈にあたる部分が省略されることを思うと、作り手としてはもちろんのこと、リスナーとしてもゾッとする。細部が削られて単純化していけばいくほど、多様性は削がれていき、平均化の一途をたどるはずで、そんなつまらないことはない。音楽にかぎらず、そう。

 MacBookのディスクドライブがなくなったり、iTunesiPhoneの同期設定の意地悪さだったりAppleがおこなう仕様の変化は、明文化されていないところでいろんな意図を感じて気持ち悪いなーといつも思う。やんわり従わざるを得ないスレスレのラインを狙って支配力を行使してくる感じ。まあこれは個人的にApple製品からの脱却を図れば全部解決する問題。

(20160410)