Brad Mehldau『After Bach』

Brad Mehldau『After Bach』

 元からこのピアニストの左手は、音楽のなかで右手の活躍に甘んじたりしない、構造を形づくるなかで最大限の動きを果たしている印象があった。率直に対位法を感じさせる演奏だったから、バッハをテーマにするというのは、取っておいたカードをついに切ったかのような感じがする。

 アルバムの作りは表面的にはかなりコンセプチュアルに見えるけれど、内容は軽やかだった。昔からこの人にとってコンセプトという縛りは、あくまでただのデザインなんだろうなと思う。自作曲とバッハの平均律クラヴィーアが交互に並んでいるという曲目。

 バッハを弾くということはピアニストにとって特別なことなのではないかと想像する。あまりに記号化されていて、弾き手の思想や意志がむき出しになるのではないかと。ここでのメルドーの気負いを感じさせないバッハは、安直すぎるいいかただけど凄くジャズっぽく感じて、それが凄く面白いと思った。いつもの対位法を感じさせるプレイで実際にバッハを弾くとジャズっぽいというのは、あまりにできすぎているけれども。ジャズっぽいといっても、正確にはインプロヴィゼーションをしている時のメルドーとオーバーラップするという感じ。もともとこの人のグルーブってパルス感が強いから、典型的ではないんだなと思った。

 それに加えて、印象が昔から変わらない。プレイがいつも若々しく歳をとらない。というのも、今作の自作曲シリーズを聴いていて、00年の『Places』を思い出した。あれもガチガチのコンセプト作だったけれど、それでもコンポジション含めて、想起される印象は一貫している。

 それにしても、つくづく自己プロデュースが巧妙というか、またそれが嫌味ではなくて聴き手への配慮として機能していてすごい。今回、バッハという記号に絡めとられていないところがなんとも心地よかった。何より自作曲が凄く好きだった。最後の全体のコンセプトからするともはやこじつけに思えるドビュッシー/坂本龍一風の曲も含め、単純に作曲家としての静謐なブラッド・メルドーが聴ける作品というふうにでも取れると思う。とはいっても、そこが自作曲だけだったとしたら同じように聴こえるかというと、そういうわけでもなくて、バッハという記号を使ってこそ良さが引き立つというところも、よくできていると思った。11曲目の「オスティナート」めちゃくちゃいい曲だと思う。

(2018.03.12)