音楽と人連載「夢遊調書」アーカイブ公開について

 2010年3月から2016年年3月までの7年にわたって、雑誌『音楽と人』で連載されていたコラムが、ウェブにて再び公開されることになりました。

 pdfでの公開というのが味わい深くていいですね。毎週月曜日に随時更新だそうです。

 ※公開は終了しました。

ongakutohito.com

 再掲にあたって7年分の連載を読み直してみましたが、そのヴォリュームもさることながら、思うことも少なくありませんでした。

 7年通じて筆致が若く、一度として文体が定まっておらず、読んでいてハラハラしますし、自己陶酔的な感じもあって、それもまた若さの特権と知りつつ、赤面する部分も多々あります。努めてユーモラスであろうとする姿勢が時折痛々しいことも・・・。

 なかには決定的に現在と考えが違うものもあります。これは省こうかと思いましたが、昔と今とで考えが違うことは人間として自然と思い直し、そのままにしました。

 初期の頃は妄想とも雑感ともつかない、アブストラクトなものを書こうとしていたのが、震災を境に少しずつ変わってきます。次第に論理的で哲学的な内容が増えてきます。この変遷は通して読んでみて、自分でもドキュメントとして興味深いものでした。

  後半では現状報告が増え、明らかにネタ切れ感というか、苦し紛れにひねりだしたようなものや、過去のコラムとほとんど同じようなエピソードが出てきたり(無意識だったので、今回読んで気づいて冷や汗が出ました)もして、出来不出来が激しいです。

 一方、前半や中盤あたりは、感覚的かつ鮮烈な内容に、正直いって背筋が凍りました(笑)。描写に次ぐ描写のイマジネーション想起の連続によるカットアップ手法的な面白さは、端的にいって才気がほとばしっているというか、こう言ってはなんですが、当時はほとんど神経症気味だったのだと思います。今では書こうとしても書けないものばかりです。

 今回、こうして初めてまとめて読み返したのですが、書いたことを忘れていた内容がほとんどで、自分でも驚きとともにかなり楽しんだのですが、特に印象的だったのは連載で唯一の前後編になっている「でんしゃをまって」という回でした。震災後しばらくたった頃、仙台でのオフ日にひとり仙石線の電車に乗って松島にいった時のことを回想した文章。帰りの駅のホームからみえる暗闇と底冷えのなかで、いろんなことを考えたことをありありと思い出しました。その当時の逡巡が、そのまま『Citizen Soul』の歌詞へと繋がり、現在に至るまでの思考の変化のひとつの転機として記録されていると思います。

 繰り返しますが、今ではずいぶんと考えが変わったものもあり、僕はどこかの別人のものとして読みました。同時に、時代は変わったのだと思い知らされる体験でもありました。

 連載終了時には書籍化の話も出たのですが、どうも意義や採算のバランスが取れず、編集担当の人と話して、止めておこうということになりました。

 というか、こんなに無軌道で自由で読みづらい連載を7年もさせてくれていた『音楽と人』には、改めて感謝の念に堪えません。この連載を書くときにつかった体力は、思考の筋肉として現在の僕に間違いなく蓄積されているはずです。