無関心という緩衝地帯

「愛の反対は憎しみではなく無関心」という言葉を、誰がどういった意味で、どういった文脈で言ったのか、僕はよく知らない。ただ、その言葉を借用し、他人への促しとして流用するとき、情報過多の現代ではそれは的を失った言葉のように聞こえる。 どこかから声高に唱えられ眼前に置かれた議題のみを皆でシェアし、それ以外については盲目でいる様子は強迫的でさえある。 憎しみを遠ざけるための無関心が緩衝地帯として存在してもいいはずだ。興味がない、と表明することで守られる情動、得られる平穏もあるのではないだろうか。 目を背けてはならない、というその囁きに、誰も責任を持ってはいない。 私たちは何気ないユーモアを探すことに残りの時間を費やすべきだ。

(2018.04.27)