2018-01-01から1年間の記事一覧

無関心という緩衝地帯

「愛の反対は憎しみではなく無関心」という言葉を、誰がどういった意味で、どういった文脈で言ったのか、僕はよく知らない。ただ、その言葉を借用し、他人への促しとして流用するとき、情報過多の現代ではそれは的を失った言葉のように聞こえる。 どこかから…

はて、本質

本を読んでいて、「ヴェールを剥がさないまま本質に触れる」って素敵な表現だと思った。 ふと。この時勢において、本質とはなにを意味するんだろうか。戦争やら死刑やら、特例によって殺人が許されている世界でどんな本質と向き合えるというのか。 ぼくはど…

青木裕

青木裕という人は、創作において、すべての近道を退ける、ずるいことを決してしないひとだった。ぼくはこれまで、あれほど誠実で自分に厳しいひとをみたことがない。ぼくにはそれが少し怖くさえあった。絶対に彼の真似はできない。理想の実現や葛藤と真正面…

People In The Box『Kodomo Rengou』を作るとき、この音楽が10年後どう聴かれるか、という射程を念頭に置いていた。だからといってそれは作り手がコントロールできることでは毛頭ない。できることといえば、不純物を取り除いて、どのような場面においても機…

Brad Mehldau『After Bach』

Brad Mehldau『After Bach』 元からこのピアニストの左手は、音楽のなかで右手の活躍に甘んじたりしない、構造を形づくるなかで最大限の動きを果たしている印象があった。率直に対位法を感じさせる演奏だったから、バッハをテーマにするというのは、取ってお…

たよりない能動性

僕のような80年代生まれの人くらいまでだと、音楽をたくさん聴いたことがある人がえらい、みたいな風潮は、かつては確かにあったように思う。たくさん聴くにはまず本や、当時まだ黎明期でデータベースとして貧弱なインターネットで知識を蓄えねばならない。…

認知

ある対象を、そうと知らず平面視してしまっていないかどうかは、絶えず見る角度を変えたり、実際に触れてみないとわからない。それができないときは、そういうものだと思う。平面とわかって受け取ってしまえばいいし、奥行きを想像する余地を楽しめばいい。 …

連帯しない連帯

強迫的に孤独を忌み嫌う言説の行き着く先というのは、ただただ身の毛のよだつような惨状である。ここ10年での急速に加速する孤独を忌避する社会の傾向というのは、小さな連帯を増やして短絡的な安心を生み出し、境目のない交流をかえって分断し、ないものの…

どんな言葉であれ、額面どおり信用するというのは、とても危険なことであることは間違いない。語義は発生源の数だけ存在するわけであるし、正確さを求めてひとつひとつ精査して読みとっていくというのは人の為せる業ではない。その途方のなさにはどうしても…

いつか何かをわかるときがくるのかどうか、たぶんこない気もするけれど、そこにとどまるという選択肢を、細胞がやんわりと拒否しているのである。 いつも柔らかな拒否であるので、神経が反射を起こす気配もまだなく、おびただしい事象が言語化されないままに…