【Q&A:回答その5】

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 質問の募集は終了しました。ありがとうございました。

 少しずつお返事していきたいと思います。

 

波多野さんこんにちは。今日もTabuⅼaRasaを聴いています。これまでの作品より更に波多野さんの個人的な立ち位置を表明したようにきこえるこのアルバムに強く支えられています。何より波多野さんをこれまで支え続けてきたであろう音楽へのリスペクトや歓びのようなものに満ちていて何回聴いてもスキップしたくなる、というかしています。長くなりました。質問です。波多野さんにとって繰り返し読むに値する強度のある「書物」は何ですか?波多野さんの読書遍歴とても興味あります。いつになるのかわかりませんが必ずまたライブでPeopleの皆さんとお会いしたいです。トムくんもどうぞ健やかに。  

(ホーさん)

 

 ありがとうございます。スキップしたくなるというのは最高ですね。僕は好きな音楽を聴くとどんな曲調であれ、踊ってしまうタイプの人間です。いずれにせよ、じっとしていられなくなりますよね。

 本に関する質問は結構ありました。僕にとって繰り返し読むに値する強度のある書物を教えて欲しいという質問にお答えします。僕は同じ本を何度も読むのがとても好きで、まだ読めていない本が傍らに積んであっても、構わず以前読んだ本を読み直すほうを選びます。

 年末年始に20年くらいぶりにドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」を読み直しましたが、当然ながらやはり印象が全然違いました。こちらの読み手としての解像度が変わってきていることもあると思いますし、現代感覚と照らし合わせるとその相違点に多くの発見があり、改めて痺れました。どの登場人物も魅力的で、それぞれすこしずつ違った欠落にシンパシーを抱かずにいられませんでした。ときおり作者が登場人物に語らせる尊厳や信仰に関する問いかけは現代においても、むしろ現代にこそ強く響き、まさに普遍的な強度を誇っている小説だと思います。

 10代で読んだときはアリョーシャが好きだったのですが、今回、彼の振る舞いにはなんだかイライラしてしまいました(笑)。
 ここ10年くらいで何度か読み直したのは小説だと、トマス・ピンチョン「V.」、リチャード・パワーズ「われらが歌うとき」、ヘッセ「荒野のおおかみ」、他にもありますが、そのあたりでしょうか。

 「われらが歌うとき」はおすすめです。珍しい出自の音楽一家の一代記で、20世紀のアメリカの空気と具体的なクラシックの固有名詞が混ざり合って、ハマる人はハマるとおもいます。

 あまり文字を読むのが速い方ではないので、正直たくさんは読んでないのですが、ここ5年くらいで単純にぶっとばされたのはイーユン・リー「さすらうものたち」、上田岳弘「キュー」ですね。

 小説以外では大野一雄の「稽古の言葉」はよく手にとって開いたページを眺めています。舞踏家の研究生に語りかける言葉がランダムに載っている本です。身体において比喩と現実の境目があいまいになる、そんな状態の発話がなにげなく記録されていて、何度読んでも驚嘆します。稀有な本です。

 土井善晴「おいしいもののまわり」、あとは興味ある分野の本はつまみ食いでよみます。

 あとムックの「Jazz The New Chapter 6」は騙されたと思って読んでみて欲しいです。一見、表面的にはジャズの最新の断面を切り取ってリアルタイムを追っているように見えて、実はそこに生じる不可解さをきっかけとして歴史への深度をぐいぐい上げていくという、たとえるなら枝葉を伸ばすよりもむしろ地中に根を広げていくほうにフォーカスされたような、そんな変な本です。

 

波多野さんはじめまして。最近好みがラーメンからうどんへと移行しつつあり、日々うどんへの興味が尽きない状態です。以前『音楽と人』のコラムで樋口さんをお連れしていたうどん屋さんもシステムが斬新でびっくりしつつも(自分で茹でるだなんて・・・そんなお店あるんですね・・・)とても美味しそうでした。他にも好きなお店ありましたら教えていただきたいです。あと香川に移住してからのうどん食べる頻度や移住してから身についたうどん食べる際のこだわりなんかも一緒に教えていただけると嬉しいです。

(tabun game overさん)

 

波多野さんは数年前に四国へ移住されたとのことですが、東京での暮らしから離れて良かったな、と感じることはありますか? 私はいつか都会の喧騒から離れたいなと思いつつも、東京の利便性や、海外アーティストのライブが首都圏ばかりで開催されること、何より友人たちと離れることに強い抵抗感があります…

(べーあんさん)

 

 うどん関係、四国、香川への移住に関する質問もかなり多かったです。まとめてお答えさせていただけたらと思います。

 とはいっても、僕もまだ香川に引っ越してきてやっと4年目に突入したばかりで、ましてやうどんの奥深い世界を目の前に、わかったような顔ができるような段階にあろうはずもありません。あくまで初心者であり、ありきたりなことしか言えませんが、実際に住んでみてわかったことは、香川のうどんというのは食べ物の域を越えてもはや文化なのだということです。つまり、名物ではなく、生活の一部なのです。

 僕は福岡出身ですが、辛子明太子は名物です。とんこつラーメンは名物です。しかし毎日食べるわけではなく、生活の一部ではありえません。ところが、僕の観測した限りでは、香川ではうどんを毎日食べる人は確実にいる。裏をかえせば毎日食べることができるということがおそろしいところです。

 ご存知のとおり、うどんは出汁と小麦粉というミニマルな素材と、それぞれの構成要素の配分のみで質が決まります。それゆえに、違いがそう簡単には記号化できないところが特徴だと思います。例えばラーメンは店によって材料が違うわけです。特製のスープからチャーシュー、メンマ、なんでもいいですが、単純化すれば材料という記号によって味に違いが出てくるわけです。ところがかけうどんは出汁と小麦粉のみ。記号への分解ができない。それでは、どこで味に違いが出るのか。

 それはずばり粉をあつかう職人さんの腕です。そこでほとんどの違いが出るといっても過言ではないように思います。ふたたびラーメンを引き合いに、ざっくりと音楽に例えるならば、曲で勝負するのがラーメン、演奏で勝負するのがうどん、そう言い換えることができるかもしれません。曲はどうしても流行り廃りに影響されます。しかし、演奏技術というのは基本的には廃れない。文化にまで昇華された理由はいろいろあるはずですが、うどんそのものが内包するそのような性質もひとつの理由であったのではないかと僕は推測しています。

 個人的にこの文化の奥行きを感じることのひとつに、「あきらかに老舗だが、そんなにおいしくない」うどん屋もあるという事実です。不味いとかではなく、あくまで「そんなにおいしくない」という絶妙なラインの店が、なぜだか僕は好きです。先日も導かれるように無骨で風情のあるとある店に行ってきましたが、「うん、これこれ。美味しすぎないこの感じ」と満足して店を出ました。

 その折のことですが、いざ食べようとした時に店番のおばあさまが「生姜いる?」というので、ぜひお願いしたところ、つい数秒前に金銭授受をしたそのままの手で生姜をすりおろし始めるという衛生的にも時勢的にも(3月上旬)お?!どうだ?!というスリリングな光景が目の前で繰り広げられたことも、なんとなく書き添えておきます。

 

 香川に引っ越して、東京での暮らしとを相対的に考えることはなくなりました。ふとしたときに違いを意識することはもちろんありますが、そこにはどちらが良くてどちらが悪いということは実はないんですよね。

 たとえばべーあんさんもおっしゃるように利便性ということでいえば、東京が良いに決まっています。自然環境ですら、ある意味では東京の方がアクセスしやすいかもしれません。一方で、生活においてそれほど利便性に重きをおいていない僕のようなひとからすると、ただ違うというだけで、それ以上のことではないこともまた事実です。

 これはおそらく、僕がより住みよい場所をもとめて移動したということよりも、自分が次第に変わった結果としてそれまでいる場所から移動したということなのだと思います。ちょっと伝わりにくいかもしれませんが、場所そのものの特性にいうよりは、僕自身の変化が根拠であるというか・・・。僕は東京という街には思い入れもあり、今でも純粋にとても好きな場所ですが、引っ越す直前に「住み終えた」という前向きでも後ろ向きでもない、ただ平坦な感覚がありました。むしろ、喧騒が嫌だな、満員電車サイアクだな、と思うようになったのは引っ越した後です(笑)。そういう意味でいえば、べーあんさんの文面をみる限り、まだ東京は住み終えてないかもしれませんね。あくまで個人的感覚として受ける印象なので、真に受けないでほしいのですが(笑)。

 僕が幸運だったのは、香川で出会った人々を、僕がとても好きになったことです。マイペースで芯が強く、雑音に惑わされずに考える、他人に優しい人が多いとおもいます。僕もそれに甘えることなく頑張ろうとフラットに思えます。すごく素敵な街です。

 

 

波多野さん、こんばんは。 いつもピープルの音楽に救われている一人です。 質問、と言うより相談なのですが、わたしは周囲に対してとても過敏で、些細なことで傷付いたり、被害妄想をしたりなど、ストレスを抱えやすいです。現在は通信制の高校に通っているのですが、長く不登校が続いていたので、生活習慣が乱れています。 双極性障害、という診断も出されました。 色々な工夫を凝らしたり、考え方を見直したりして、今は自分にできることをやろう!と思えているのですが、たまに、というかしょっちゅう、心がポキッと折れてしまいます。 波多野さんはこれまでの人生で、どうしようもなく心が傷ついてしまったとき、どのように乗り切ってきましたか。また、現在進行形で悩んでいる人間を目の前にしたとき、どのような言葉を掛けますか? これからも応援しています。

(みかんさん)

 

 現在進行形で悩んでいる人を目の前にしてどのような言葉をかけるか、ということですが、僕はおそらく人が想像しているよりもかなり薄情なので、基本的に言葉はかけません。ほんとうに悩んでいる人の前で言葉が効力を発揮することって、ほとんどないというのが僕の考えです。人が救われることがあったとき、そのきっかけは外部のものであっても、そのきっかけを選びとったのはいつでも他でもない本人の隠れた力だと思っているからです。

 ただ、長く続いた不登校で生活習慣が乱れており、通信制の高校に通い、些細なことで傷つき、被害妄想を逞しくしたあげく心が折れる、というのはまさに僕の10代のころの写し身のようです。僕はそういう人でした。双極性障害のことも、とても辛いことをそれなりに知っているつもりです。

 なので、現在の僕から、10代の頃の自分に向けてという設定であれば、みかんさんに少しだけアドバイスのようなことを言えるかもしれません。いいですか?いきます。

 まず、君の感性は間違ってはいません。そのアンテナの感度、すごくいい感じです。同時に、その素敵なアンテナが焼けつかぬように、なんにせよフルパワーで感じることは控えてください。それから、すぐに物事を好転させようと頑張らないで下さい。がんばらないときにかぎって、なぜか勝手に物事が好転することがあるからです。

 言うは易しで、それらが難しいということもよくわかっています。なにより、今言ったことは観念的でぼんやりしすぎています。それを可能にするためにまずは具体的なことから始めましょう。試してほしいことがあります。

 規則正しい生活を送ってみてください。

 規則正しい生活とは、自律神経が整っている生活です。自律神経とは、交感神経と副交感神経のバランスが取れている状態です。朝おきて夜寝る生活です。

 夜眠れないときは、交感神経が働きすぎているので副交感神経を優位にするする必要があります。そのためには、起きている昼間の時間にエネルギーを燃焼させて、ほどよく肉体的に疲労し、リラックスする必要があります。

 エネルギーを燃焼させるためには深い呼吸と食事、必要最低限の筋肉が必要です。深呼吸と、筋トレ+ストレッチのセットを日課にしてください。

 以上、ざっくり説明しましたが、改めて本などで勉強してみてください。

 具体的でしょ?これはこれで、ひとつの循環を作るのは大変で、実際に規則正しい生活が習慣になるまでには、1年はかかると思います。僕の場合は3年かかりました(笑)。

 試す価値はあると思います。保証します。がんばってくださいね。