13日のクアトロワンマン公演について

 昨日5/13金曜日、渋谷クアトロマンスリー企画お越し下さりありがとうございました。  月一のクアトロ公演をメンバーがそれぞれ1日ずつデレクションする企画の自分の担当回ということで、ここはひとつ過激なことをぶちかましてみようかと色々と考えました。全曲繋げて一曲にしてしまう/同期バキバキで音源再現/MCのみあらかじめ録音したものを流してアテ振り/全部インスト半分以上インプロヴィゼーションなど、アイデアは幾つも瞬時に湧いたのですが、ひとつとして心からやりたいことではないということもまたほとんど瞬時に判明。結論としては自己満足では終わらない何か可能性に繋がるようなことに自然と向かいました。  ピープルが作品づくりにおいてアレンジをする際、一曲一曲をひとつずつ完成させていくというよりは、曲順のなかで曲同士がお互いの役割を形づくっていくのを見守るというか、有機的な関連づけを組み立てるように作業していきます。なので、逆にいえば曲順や意味合いが変わると機能しないこともあって、ライブではどうしてもセットリストに入れずらくなる曲ができてきます。けれど、実はそういう曲こそがバンドの濃ゆい部分というか、旨味がある部分だと常日頃から思っていました。というか、本質はそこにあるくらいに思っています。  それで、例えるならばステーキの横にある付け合わせの野菜、それをメイン料理に昇格させるような、そんなライブをやってみようと思ったのが発端でした。付け合わせとはいっても素材は極上、味付け次第で昇格に耐えうる魅力をもった曲ばかりであることには自信はありました。「技法」「木曜日/寝室」「割礼」「みんな春を売った」「天国のアクシデント」「ニコラとテスラ」あたりはそれに該当します。「技法」と「みんな春を売った」に関しては根幹そのままに印象を変えるっていう編曲をしました。他はそのまま。  「手紙」「季節の子供」「子供たち」「セラミックユース」は普段ギターで演奏しているものをピアノで、ピアノで演奏しているものをギターに編曲して演奏しました。「手紙」に関しては元々ピアノで作曲した曲だったので、個人的に懐かしい気持ちでした。「マルタ」は最近ピアノでやっていたのをあえてまたギターで。  久しぶりの曲をバンドでスタジオで練習して改めて思ったのが、歌いながらの演奏が難しい、というシンプルな事実。『Ave Materia』のツアーのときにハイスイノナサの照井順政にサポートメンバーとして加入してもらっていた頃のことを思い出した。当時は彼にギターを任せて僕はボーカルに専念してライブをやっていて、歌というものとしっかり向き合う時間がもてた、今思えば改めてとても貴重な期間だった。もし彼が引き受けてくれていなければ、僕は自分の歌にもギター演奏にも納得できないまま演奏を続け、果てには今頃燃え尽きて演奏への情熱を失っていたかもしれないと思う。そう考えるとよっちゃんには本当に感謝しかない。そう思いながら三人バージョンの「割礼」をスタジオで演奏していました。

 ここ数回、表面的な狙いだけではない、音楽的な狙いを掘り下げる公演を毎回やれていて、充実感が身体にあふれるのを感じる。素材の可能性を調理によって拡張するっていうのがシェフの腕のみせどころならば、音楽家にとってもまったく同様のはずで、それが今の自分のやりたいことなんだと再確認。  新しくもないものをさも新しそうにみせるようなダサいやり方が溢れてる昨今、まったくそういうものとは別次元で自然とやれてることを実感できている。音楽には新しいとか古いとか本質的にはないから。「今」があるだけだから。

 とりあえず僕は演者の言うことなんで真に受けてもあまり意味がないとも思っている類の人間ですが、13日のライブのことを解説として書いてみました。  最近はとにかく一回一回のライブをがっつり気負ってやる。成功も失敗もまるっと受け止めてやっていく。そんな感じです。まっすぐ見守ってもらえると嬉しいです。

 当日のBGM。単純に前日の気分で選びました。

 来月は「People In The Jukebox」と題してみなさんのリクエスト曲ばかりをやるワンマンライブです。投票はこちらから。20日までやっています。一昨日会場で発表された中間発表見ましたが、まあ見事に当日のセットリストと一曲もかぶりがありませんでしたね。曲によってはちょっと気が重いですが(笑)、全力で演奏します。

(20160515)