7/15/2017 上海

大柴広己くんに誘ってもらって、上海へ。 ソロでは初めての海外公演。 そして初めての中国。

14日、ライブ前日、僕だけ関空からだったので別便で単独上海へ。 着陸前、これまで幾度となく乗ってきた飛行機の中でもかなり上位に食い込むほどの揺れを感じたが、なんとか着陸。 ギターと荷物も無事ピックアップし、現地スタップの方と落ち合うようになっていた到着ロビーに出るが、申し合わせていた目印もなく、どうも様子がおかしい。 向こうではラインやメールは国で制限されていて基本使えないので、中国専用のSNS、wechatでやりとりしていたのだが、 とつぜん乗っ取り保護のロックがかかってしまい、認証を試みるもうまく外せず、連絡が取れない状況に。 ツアーチーム成田組のアテンドの方が到着後に電話をくれるが、まったく合流できない。 インフォメーションの人に電話を代わって話してもらったところ、どうやら荒天により、緊急に別の空港に降り立っていたことが判明。 着陸時の揺れは、突然の集中豪雨だったようだ。

タクシー乗り場では同じように緊急着陸によって交通迷子となった旅客たちが長蛇の列を成している。 それで、ひとり地下鉄を乗り継いでホテル付近の駅まで行くことに。 北京語は漢字っぽいので字面はわかるが読み方がわからない。それでも柔らかく、しかし傍若無人に尋ねたり、標識に注意しているとなんとなくわかる。 思いもよらなかった、ちょっとした冒険に心が躍った。 地下鉄の中で上海の人たちを観察したが、みんな生き生きしていて、僕の浅い先入観で想像していた何倍もスタイリッシュで近代的だった。ふと窓に映る自分の姿は、欧米の街にいるときよりも何倍も馴染んでいて、そうか、おれはアジア人なんだとあたりまえのことをふと思った。 地下鉄の走行中、窓の外の洞穴(なんという呼び方が正しいのだろう?)の内壁にレーザーで広告が投射されるのがカッコよかった。アジア街が舞台のSF映画が頭をよぎった。

ホテルでツアーチームと合流。実は今回のメンバー、みきとPさんと大石昌良さんはちゃんと話したことはなかったものの、大柴くんが主催している大阪城野外音楽堂でのSSWの去年の演奏で共演しているので、なんとなく安心感があった。

皆で食事へ。あたりは暗いとはいえ、日本とは比べられないくらい蒸し暑い。 比較的家庭的な料理を出す中華料理店へ。全体的に甘めの味付けだと思った。 その後、観光へ行った。

豪華絢爛な電飾は、かっこよくて、どこか空々しくて、物悲しい。 夜の静かな闇に真っ向から挑むこの街を、僕は気に入った。

それなりに寝て、翌日。集合時間までホテルの周りを散歩して回った。 建設中の建物や洗練された(ようで少し派手な)建物があり、その並びを少し行けばすぐ古くからの居住区が広がっている。 この辺まで来るとのどかで昨夜のネオンの都市と同じエリアだとは思えないが、よくよく日本や他の外国を思い出して、そういうものかもしれないとも思う。

ばかみたいに天気が良くて、この夏、一番汗をかいたと思う。ZOOコーヒーとスタバをハシゴして片手のアイスコーヒーを絶やすことがなかった。外資

ライブ。会場のMAOはなかなかに広く快適。 演奏前に取材があって、中国ではまだなじみのない僕はあまり訊かれることはないと高を括っていたが、気を使ってくれたのか、興味を持って質問をしてもらえた。 今回のツアーの共演者陣は、活動する場も違えば、音楽性もまたバラバラで、ショー全体がとっ散らかってしまうかと思えば、むしろ逆で、音楽の持つ幅を1日で楽しんでもらえるようなメンツだったと思う。 僕の演奏はいつも通り以上にいつも通りだった。 最後にみんなで一青窈の『ハナミズキ』を演奏した。その日のリハ前に急いで選曲してほとんどぶっつけ本番で演奏したにもかかわらず、大柴くんがメイン、大石さんが上ハモ、みきとさんがオクターブ下、僕が下ハモという奇跡の4声が形成され、その完成度に自分たちで震えるという珍しいことが起こる。 とても良い夜だった。

夜は24時間営業の火鍋屋で夕食。美味しい!

2016年

 今年はとにかく充実した一年だった。People In The Boxとしては初めて一枚も作品リリースをせず、ライブの数も激減させた。これは今までの慌ただしかった活動をペースダウンさせようとした結果などでは、決してない。  単純に音楽的な理由のない公演は行わない。また新作をリリースするタイミングをスケジュールベースで決めない、という普通のことをこれまで以上に徹底してやった結果である。それ以外は、モチベーションもなにもかもが変わっていない。  正直、よく言われる表面的に可視できる活動をしていないと運営上不安になるというのは、音楽とは関係のない問題であり、そういったことで不安になるような時期は僕らはもうとっくに終わったんだと思った。

 身の回りでは素晴らしい作品がいくつもリリースされた。友人知人が発表する作品にこんなに興奮した年は久しぶりかもしれない。  それらのほとんどが、世間的にはほとんど騒がれていないことを悔しく感じる反面、同時にそんな瑣末なこと気にする必要はそもそもないな、とも思う。  十年以上に渡って聴かれるものを作る価値を、それらの音楽家はみんな経験として知っているからだ。十年後に別の意味合いを持ち始めることが音楽にはあることは、これまでの歴史が物語っている。そもそも僕に関して言えばリアルタイムで世間に騒がれる音楽なんてほとんど聴いてこなかった。データによって廃盤になっても音は聴くことができる現代は、音楽家にとっては悪い時代ではないと思う。

 最近会って話をするような音楽人たちは、それぞれ立場や状況は違えど、考えていることは大まかに似ている。おそらく考えが似ている人をお互いに嗅ぎ分けているんだろう。各々がこれまでどおり、しっかりと自分の問題として行動すれば、あと数年で今よりもっといい感じに環境が変わってくるのではないか。なんとなくそんな気がする。

 今年の個人的一大トピックは6月のソロアルバム『僕が毎日を過ごした場所』のリリース。正式にリリースする初めてのソロアルバム制作には、僕が音楽活動をする上で必要だと思ったプロセスをすべて詰め込むつもりでいた。  バンド活動の番外編なんかではない、純然たる作品を作ろうと思った。People In The Boxのメンバーであるという事実、それ以外の先入観がない状態で聴かれるデビューアルバムがどういうものであるべきか、時間をかけて熟考した。そんなチャンスはそうそうない。だから音楽的な内容は雑誌の自分が持つ連載以外では、自分からは一切触れていない。  発売に関しても、マスタリング以外はすべて自分でやったことの延長線として、自分にとって意味のある過程に終始させたいと思い、まずは手売りのみに決めた。完全なる自主制作。  抱えた在庫が自分の手から離れていくのを目の当たりにすることや、先入観のないまま音を聴いてもらえる状況はとても痛快だった。2016年の元旦に作業を初めて、他人の一切の感性が混じってこない純度の高い混乱を極めた作業から、すべてめの届く範囲で行われている販売までを含めた、この一連の経験の実感は、新鮮というよりもむしろ、この感じは知っているな、という既視感だった。それもそのはず、上京するまではずっと似たようなことを数年に渡って福岡で既にやっていたのである。

 プロモーションということに関しても考えた。宣伝というのは作品の性質とは関係のないところから始まる。それは悪いことでは決してなく、届けたいという想いの尺度であると思う。いろいろを踏まえた上で、僕はこのアルバムは宣伝に向いてないと思った。何かレッテルを付けた時点で、聴き手にとって失われる体験があると思ったからだ。

 来年は次の段階として、アルバムを各地の僕が好きな店に置いてもらって販売することも考えている。

 10月以降を振り返る。

 10/4京都のゲストハウスlenで長谷川健一さんと弾き語りツーマン。半年ほど前に東京の蔵前nuiでやったツーマンの京都編。東京編のときはアルバムの曲を初披露だったので、ツアーを経てのアルバム曲を磨いた形で聴いてもらうことができて嬉しかった。ハセケンさんの歌は出会った頃と比べると普遍的な力を持ち始めていて、心地よかった。ふたりで打ち合わせのないセッションから、People In The Boxの「8月」を演奏した。尺も決めずにその場の空気で歌い分けた。自分のハセケンさんの音楽に対する安心感というのは確固たるものなんだと、なんとなく思った。  lenはnuiと同じく開放感があって気持ちよい空間で、長谷川さんが潰れるくらいには深い時間まで打ち上げした。

 10/7下北沢251でdipヤマジカズヒデさんとツーマン。フリーペーパーJungle Lifeの今井さんがかなり前から温めてくれていた企画。ヤマジさんは歌もギター演奏も音が凄まじく瑞々しくてとても興奮した。いろんなタイプの曲をやっても、ヤマジさんの音になるのは魔法みたいだといつもながら思った。最後にvelvet undergroundの「Pale Blue Eyes」とdipの「corona sonora」を一緒にやった。背中でヤマジさんの音が鳴っていることに興奮した。いろんな話もできて、楽しい一日だった。

 10/30大阪城野外音楽堂『SSW』大柴広己くんのお誘いで、マイク一本の弾き語りフェス。普段共演するのとはまったく違う傾向のミュージシャン達との共演で、静かな演奏をするのは僕くらいのものだった。自分の常識が通用しない現場、とても面白い体験になった。大柴君もおそらくイベントのダークホースというか、良い意味でのスパイスとして読んでくれたのではないかと解釈した。それで夕暮れの良い時間に入れてもらった僕も、いつも通りの集中した演奏をすることができた。  こういったイベントを続けることが強い意志がないとできないことは、想像するだけでわかる。大トリの大柴君の演奏はそんな強さが現れたライブだった。

 11/20仙台SENDAI KOFFEEソロアルバムのツアーの続きの仙台編。SENDAI KOFFEEは初めて。とても居心地のよい空間で、頂いたコーヒーが好みにストライクで激しく美味しかった。この日の演奏、それまでのツアーから少し間隔が空いた分、調子を取り戻せるか少し心配だったのだけれど、まったく杞憂だったというくらい演奏に手応えがあった。ツアーで培ってきた演奏に拘らずにやった結果、もっと先まで行けた、という感覚。どうだったんだろうか。店主の田村さんに「Calling You」喜んでもらえて嬉しかった。

 11/28香川カレー六ろくソロツアー四国編。店の移転にかこつけて、四国編を六ろくでさせて頂くことに。店主のかなちゃんに足りない機材やら椅子やらを高松のネットワークでもって調達してもらい、結果いろんな人に協力してもらうことに。感謝。そもそもが美味しいアジアカレーの店なので、僕も終演後に食べたり飲んだりした。がらんとした店内でふんわり酔っ払って、これでツアーも終わりか・・・。と感傷に少しだけ浸る。

 12/3渋谷7th Floor『Forever』いつもお世話になってる江戸原くんの企画で、NOVEMBERS小林くんと、麓健一さんとの共演。小林くんは月見ルの共演ぶり。最近NOVEMBERSの「チェルノブイリ」が弾き語りのセットに入っていて、涙腺を刺激されて困る。麓さんは初めて。生活の奥底と表面が交差して曖昧になっていく様を描いてような、凄く魅力的なソングライターだと思った。   この日から僕は新機材を導入、ハーモナイザーだけで数曲演奏した。打ち上げでは麓さんが突然「小林くんと波多野くんはコンプレックスってある?」と訊いてきて、面白い人だと思った。終演後はみんなでギターを回しながら歌うという青春のような打ち上げをした。10人足らずの男がレナードコーエン「ハレルヤ」を熱唱する光景。

 12/20代官山晴れたら空に豆まいて『ひかりとまどろみ』森ゆにさんと初めて共演。楽屋では同い年ということがわかり会話も弾む。この日はフロアにピアノを下ろして演者を観客が囲む形で行われた。作灯の河合悠さんがステージの演出を手掛け、床に本物の枯葉を敷き、それをキャンドルが照らすという素敵な暖かいムードのなかの演奏。この日、まえもって森さんとふたりでなにか一緒に演奏して欲しいという企画してくれた三浦さんからの要望があったのだけれど、僕が別の作業が忙しく、中途半端になっては失礼と思ったことから、一度話しは立ち消えていた。けれど、先行の森ゆにさんの演奏が素晴らしく、キャンドルと枯葉のステージも本当に特別な日になっていて、なんとしても一緒に演奏したいと思い、森さんの本番の後に急遽、セッションを提案させてもらった。転換を利用して急いでお互い知っている曲を探し、打ち合わせて細野晴臣「恋は桃色」を二人で演奏した。森さんが枯葉を踏む音でリズムをとったので、僕も真似した。最高に美しい一日になった。  思えば2016年の最初の演奏も晴れ豆だった。この一年、晴れ豆にはとんでもなくお世話になった。これほど多く演奏していても、晴れ豆での演奏には良い意味の緊張が伴う。音楽的にとても挑戦しているハコで、中途半端な演奏はできないよな、という気持ち。

 音楽には謎がたくさん欲しい。誰のまわりにもいる、一見普通そうで、とんでもない人を思い描いて欲しい。でも誰もがそういう人なんじゃないかと僕は思っている。すべての感情を説明し終えた後に残る、謎。それが音楽であって欲しい。

 僕の音楽にはまだ謎が足りない!

 みなさんの2017年がよい一年になりますように◎

(20161231)

9月

 9月は自分のわりと周辺にある音楽に触れて感じることが多かった。

 8月末日に初めてGEZANのライブを観た。すごくよかったけど、何がどういいのかよくわからなくて、ずっと尾を引いている。音は大きかったけど、音楽は静かな感じがした。マヒトゥ・ザ・ピーポーのソロと音は全然違うけど印象はほとんど同じだった。とにかくよかった。これから変わっていくのがとても楽しみ。

 Plastic Treeの竜太朗さんのソロの作業。僕の作業はほとんど終えてはいるものの、歌録りにお邪魔する。その日すでに録り終えたものに対しての僕の不躾な意見にも、嫌な顔ひとつせずに耳を傾けて実践する彼の姿を目の当たりにして、すごく背筋が伸びた。そして声!コントロールルームのスピーカーで聴く竜太朗さんの声の存在感にエンジニアさんと驚嘆しきり。まだ全ての作業は終わっていないけれど、波多野裕文としてしっかり関わった音楽として胸を張れるものになる。

 Jacob Collierの来日公演を観に行く。当日から3日ほど前に存在を知って驚愕し、滑り込みでブルーノートへ。マルチプレイヤーという触れ込みは器用貧乏や曲芸になってしまうようなリスクもあるけれど、そんな次元を軽く飛び超え、音楽の喜びそのものを音楽にしてしまったような、そんな祝祭感に溢れたステージだった。視覚的にもわかりやすく奇抜な技術やギミックを用いながらもそれらのトピックが瑣末なものに思えるほど、音楽そのものの魅力が軽々と勝っていく様子は圧巻。Jacobの人間的な奥行き、どんな人生を歩んできたかとかそういった背景が一切見えないのも清々しかった。

 ピープルのアコースティックツアーへ。アコースティックだからといって聴き手を癒すつもりは一切なし。アザーサイドじゃない、丸裸でステージに立ち、声と指が弦を弾く音だけでどこまで行けるかの戦い。神経が張り詰めて、それはとても生きた心地がして、いい気分だった。いまだに初めての自分たちに出会える体験ができている。毎回違った「海はセメント」が印象的だった。新曲「動物になりたい」もアコースティックでやった。  下はツアーのBGM。

 ツアー中に発売されたdownyの6thアルバムを買った。実はギターの裕さんからファイルで頂いて、一聴してはいたのだけれど、それ以前から買おうと決めていた。繊細で挑戦的で豪胆で情緒的。エグみも込みで美しい。downyの音楽は錬金術みたいだ。一貫した雰囲気はあるのに全曲それぞれ着地点が違うし、まさしくdownyという作品なのに、過去の作品を聞き直すと全然違う。生き物が成長するように自らを更新していく姿勢はとても刺激を受ける。

 THE NOVEMBERSの新譜『Hallelujah』も発売された。彼ら自身からも、彼らの周囲からもマスターピースを完成させた高揚感がとても伝わってくる。僕も凄く嬉しい。作品には思い描くイメージを具現化したいという情熱に溢れていて圧倒される。とにかくソングライティングの突進力が凄い。説得力に満ちている。

 ピープルの曲作りプリプロダクション。いくつかある新曲は特に今までとは変わったことはしていない。けれども新しい景色を観に行くような曲ばかり。  僕は曲を作るのが楽しくて仕方がない。時間はかかるし、困難もあるが、単純な話、まさにその曲作りにかかる時間と困難が、楽しくて仕方がない。作曲を楽しめる人は、人生をさほど辛く感じないんじゃないかと最近思う。僕はさほど辛くない。作曲みたいな人生を送っているからだろう。

と同時に、音楽を作りたくないときには絶対に作らないと、ただそう決めた。それはうまくいってる。つまり僕に音楽をオーダーできる資格をもつのは結局は僕自身だけだという確固たる事実にいまさら行き当たっただけなのだけれども。  音楽が料理だとして、鍋が音楽家だとして、僕の場合は火力を滅多なことでは強火にしない。常に強火でかけた挙句に料理は焦げつき、鍋は焼けついて使いものにならなくなりそう、という例はたくさん聞くし頻繁に見る。強火でいきたい気持ちもわかる。強火を求められる空気も理解できる。みんな簡単に強火を煽るし、本人も陶酔できる。けれどもしばらくすれば、まずは料理が、そして鍋がその寿命を終えてしまう。それが悪いことだとは思わない。でも僕はそんな荒っぽい真似は誰よりまず自分のために絶対しない。適正な火力で自分が美味しいと感じるスープをたくさん作りたい。つうか単に、弱火でコトコトやってるその過程が一番生きてる感じがして、楽しいでしょうが!

 月の中頃、空中ループの松井くんに誘っていただいて原宿のレフェクトワールというパン屋さんで弾き語り。同年代でサシでの打ち上げも盛り上がった。次は京都での再会を約束。  この日、フランスパンの固さに耐え切れず僕の軟弱な歯が欠けたことは言えなかった。

 北海道へ、ソロツアーの追加公演。朝の飛行機で向かい、昼夜の2公演をこなすというハードスケジュール。  5年ぶりのムジカホールカフェは居心地もあいかわらずよいものの、5年前の緊張や演奏の拙さへのリベンジマッチの気分も少しあった。そして昼と夜それぞれの部は演奏の感じが自然とガッツリと変わったのが自分で面白かった。

 北海道から帰ってきて、映画を貪るように一挙に7本観た。物足りない。

 group_inouが活動休止を発表した。音楽性もスタンスも、どこにも属さずマイペースを貫く活動にはとても共感していたので、単純に寂しい。 ふだん活動休止に対しては冷淡なほうなので、正直こんな風に思うことってあまりないけれど、全ての決断は前向きなものであると僕は思う。今まで素敵な音楽をありがとうと言いたい。

(20170928)

クアトロマンスリー終了、音楽に◯◯を持ちこむな

 一昨日の演奏をもってPeople In The Boxの渋谷クラブクアトロの4ヶ月に及ぶマンスリーライブが終了した。

 3人のメンバーそれぞれが1日のライブをディレクションした3/4/5月、そしてリスナーの皆さんから聴きたい曲を募ったその上位20曲で構成した6月という4公演でなる今回のイベント、一ヶ月にたった1回のワンマンということで軽やかな気持ちで臨んだものの、始ってみると逆に一回のライブにかけるこだわりが暴走し、むしろまったく気が抜けない4ヶ月になった。  特にはじめの3公演はニューリリースもないというのに、初めてライブで演奏する曲や新しいアレンジ、カバー曲とかなり新しい要素を持ち込んだシリーズになった。  そして最終日は募ったリクエストによって構成する1日。正直いうと、深い意味があったわけでもなく、選曲する手間が省ける、くらいの不純な気持ちも個人的にはあったほどだった。いざこの日の演奏に向き合った時に、こういう場合は過去の曲になることばかりはわかっていたので、せっかくのワンマンで現在のバンドの曲を発信できないというストレスがあった。もちろん、完全に自分の蒔いた種だが。  今年に入って音楽家の訃報が続いた。そのときに感じたことは音楽は故人の意思とは関係なくリスナーのなかで生き続けるということだった。集計結果を眺めながら、生きている俺はまだ自分で演奏できるんだと思ったときに気持ちが180度変わった。今の自分で古い曲を更新していけばいい。スタンダード曲として耐えうるか、曲を全力で弾いて試していけばいいだけだ。  リクエストライブという響きから想像する「ファン感謝デー」的な気持ちは一切なし。VS過去の自分という戦いの気持ちで挑んだ。

 ニコニコ生放送タイムシフトで自分の前日の演奏を聴いた。演奏という意味ではしっかりと今のバンドが反映されていたし、客観的によくスリーピースでここまでするな、と率直に思った。 笑  この徹底的に楽をしないスタイルは自分ではまったく好きではないけれど、そうしてやってきた意地みたいなものが結実してて面白かった。意味のあるものになって、こちらから募ったとはいっても、投票してくれた皆さんには心から感謝したい。どうもありがとうございます。

 とはいっても意図しない結果に甘えるつもりもないので、これからも思いっきり楽しんでやっていきます。8月のアコースティックツアーもお楽しみに。

 季節が深まってくると公共機関のエアコンが猛威を奮いだす。極端な温度設定。誰が喜ぶのかと毎夏毎冬、憤っている。おそらく、一部の我慢がちっともできない少数の人間の苦情が受け入れられた結果だろうと思う。世の中はそんな風にできている。やかましい最低ラインに基準を合わせる。  弁当に炊きたての米を入れるタイプのコンビニで、普通盛りを頼んでも常軌を逸した量の大盛りといえるほどのご飯が入っていることがある。これはご飯が少ないというクレームを極端に忌避している結果なのだろうと思う。食べきれない米は捨てればいい、クレームが来るよりマシということだ。少数のクレーマーに基準を合わせるという消費社会の最低な成り立ち。

 「音楽に政治を持ち込むな」といっている人がいるとされているらしい。でもそんな人は僕の感覚としては、いない。万が一いてもごく少数で、その人はBob MarleyRage Against The Machineもブルーズも聴かないし、そもそもフジロックに行かないだろう。音楽に歴史があるということや多様性について議論をできるような耐性もない、そんな人を意見の数に入れてはだめだ。無視。音楽はコンビニじゃないんだから。意識最低ラインの人の意見を相手にすることほど、徒労に終わることはない。というか、そもそもそんな人いない。というのが僕の感覚です。だってネットに人間なんていないんだから。今書いているこの文章だって誰が書いたか、僕以外知らないんだから。

 議論はもっと身近な人としたい。  逆に「音楽に生活を持ちこむな」「音楽に空気の振動をもちこむな」とかいう人とはちょっと話してみたいけど。いや、やっぱり遠慮しておこうかな。

(20160619)

神保町弾き語り、ニュースとは

 今月の初めごろに森岡賢さんが亡くなった。同じ訃報でもDavid BowieやPrinceとは意味が違った。13歳の頃に出会ったソフトバレエは閉塞感で腐りそうだった当時の僕の精神をギリギリのところで救ってくれた。『INCUBATE』『Million Mirrors』『Form』の3枚のCDは今でも手の届くところにある。ソロアルバムの『Question?』も好きだった。  それまですべて断ってきたコメントの類だったが、同じく藤井麻輝さんとのユニットminus(-)のファーストの発売の際に依頼されたときにその自分ルールを破ってまで寄せさせてもらったほどに、ソフトバレエは自分の遺伝子に組み込まれている大切なバンドだ。  挨拶しようとおもえばできるタイミングは幾度とあったが、ついぞ交流はなかった。なんとなく、それで良かったと思う。彼の音楽はまだ生きている。

 縁起でもない話だが、僕に何かあったとき、訃報はできるだけ伏せてもらうことにしたいなと思った。他人に好き勝手に人生を総括されるなんて耐えられない。亡くなってしまえば関係ないといえばそれも真実だけれど、音楽の意味あいが歪められるのはつらい。音楽は音楽。たかが音楽。

 11日に神保町三月の水のオープニングパーティーで弾き語り。青木ロビンさん(downy)と藤井友信さん(music from the mars)と。ロビンさんは言わずもがな、初対面の藤井さんとても素晴らしかった。プログレやらジャズやらオルタナやら色んな要素はあるけれど、印象としてとてもナチュラルで、しっかりと生活の匂いがしていて心地よかった。新作もバンド形式なので弾き語りと音は違えど、印象はほとんど同じでとても素晴らしかった。  三月の水はロビンさんが内装を手がけた店内、とても居心地がよかった。THE NOVEMBERSケンゴくんのデザインしたロゴもかわいい。ただ、ネットに店の情報が全くないので営業形態が不明である。  楽屋で三人でいろいろ話したけれど、僕が最近考えていたことと同じようなことを藤井さんもロビンさんもすでに考えていて、裏付けられたようでなんだか嬉しかった。自分の基準を持っている人と話すのはシンプルに気持ち良い。

 しかし世の中は本当に気持ち悪いことになってきている。  ネットにしてもテレビにしてもニュースの下劣さは国民性の下劣さの反映でもあるとは思うけれど、それ以上の危うさを感じることが多い。  毎日、機器に電源をいれようものならニュースがあたかも自然の産物のように流れてくる。当然、ニュースはそよ風でもなければ雨樋を伝う雨でもない。意志を持った人間が行動して発信している。そうでなければ、ニュースというものは存在しない。すべては意図的なものだ。  僕はメディアが他人の生活やSNSでの発言をニュースにする行為の気持ち悪さに心底ゾッとする。意志を持った個人が、別の個人の生活を無許可で表沙汰にする権利なんてあるはずがない。そしてそういうときに標的になるのは当然、弱い立場にあるものだ。  ニュース、報道、メディア、政治家の態度、そういうものを目の当たりにして少しでも自分がバカにされていることに気付けないと、もう終わりだと思う。

 正解というものは自分のなかにしか存在しない。外から与えられたぱっと見素晴らしそうな正解はすべて偽物だ。けれど、世の中はどんどん多様性を否定する動きになってきている。

 それでも人生は素晴らしい。そう思う瞬間は決してなくならない。料理は美味しいし、友人たちの子供は元気だ。紫陽花は美しいし、交わされる会話は面白い。ポールサイモン(73歳というのも興奮するが、プロデューサーが82歳というのがさらに最高)の新譜も素晴らしい。

(20160615)

ソロアルバムを発売します。

 先日お伝えしたように、西が中心になってしまうのですが、久しぶりのツアーをやります。

 日付変わって今日5/15がチケットの一般発売日、予約開始日です。  各会場、時間や方法が違うので、それぞれ確認の上、よろしくお願いします。

 先日8日の弾き語りでもサラッと発表したのですが、6/30に波多野裕文名義でアルバムを発売します。ツアーの初日から販売開始です。先日のダウンロード販売した未発表音源集とは全く別の、新曲が10曲収録された純然たる作品です。  いわゆる流通システムは使用しないのでみなさんの手に届くまでは若干気をもませてしまうかもしれません。が、宣伝は僕からの発信に限るつもりなので宣伝のスケジュールから生じる発売までのタイムラグを考えると完成から皆さんの手に届くまでの時間は変わらないという見立てです。  今回はひとりの作家としての出発を、できるかぎり自分の目の届くやりかたで始めたかったためのこの決断です。流通システムを使用しないことで地域や購入方法による違いで生じる不公平さは確実にありますが、そこは物理的な問題と諦めていただく他ありません。わざと手に入れにくいようにしようとしているわけではないことはお伝えさせてください。いずれにせよピープルと同じく発売されてサラッと消費されるような内容ではないですし、気を長くお待ちください。  実はまだ完成していません。歌録りもまだ2曲残っています。完成次第、またお伝えできればなと思っています。

(20160515)

13日のクアトロワンマン公演について

 昨日5/13金曜日、渋谷クアトロマンスリー企画お越し下さりありがとうございました。  月一のクアトロ公演をメンバーがそれぞれ1日ずつデレクションする企画の自分の担当回ということで、ここはひとつ過激なことをぶちかましてみようかと色々と考えました。全曲繋げて一曲にしてしまう/同期バキバキで音源再現/MCのみあらかじめ録音したものを流してアテ振り/全部インスト半分以上インプロヴィゼーションなど、アイデアは幾つも瞬時に湧いたのですが、ひとつとして心からやりたいことではないということもまたほとんど瞬時に判明。結論としては自己満足では終わらない何か可能性に繋がるようなことに自然と向かいました。  ピープルが作品づくりにおいてアレンジをする際、一曲一曲をひとつずつ完成させていくというよりは、曲順のなかで曲同士がお互いの役割を形づくっていくのを見守るというか、有機的な関連づけを組み立てるように作業していきます。なので、逆にいえば曲順や意味合いが変わると機能しないこともあって、ライブではどうしてもセットリストに入れずらくなる曲ができてきます。けれど、実はそういう曲こそがバンドの濃ゆい部分というか、旨味がある部分だと常日頃から思っていました。というか、本質はそこにあるくらいに思っています。  それで、例えるならばステーキの横にある付け合わせの野菜、それをメイン料理に昇格させるような、そんなライブをやってみようと思ったのが発端でした。付け合わせとはいっても素材は極上、味付け次第で昇格に耐えうる魅力をもった曲ばかりであることには自信はありました。「技法」「木曜日/寝室」「割礼」「みんな春を売った」「天国のアクシデント」「ニコラとテスラ」あたりはそれに該当します。「技法」と「みんな春を売った」に関しては根幹そのままに印象を変えるっていう編曲をしました。他はそのまま。  「手紙」「季節の子供」「子供たち」「セラミックユース」は普段ギターで演奏しているものをピアノで、ピアノで演奏しているものをギターに編曲して演奏しました。「手紙」に関しては元々ピアノで作曲した曲だったので、個人的に懐かしい気持ちでした。「マルタ」は最近ピアノでやっていたのをあえてまたギターで。  久しぶりの曲をバンドでスタジオで練習して改めて思ったのが、歌いながらの演奏が難しい、というシンプルな事実。『Ave Materia』のツアーのときにハイスイノナサの照井順政にサポートメンバーとして加入してもらっていた頃のことを思い出した。当時は彼にギターを任せて僕はボーカルに専念してライブをやっていて、歌というものとしっかり向き合う時間がもてた、今思えば改めてとても貴重な期間だった。もし彼が引き受けてくれていなければ、僕は自分の歌にもギター演奏にも納得できないまま演奏を続け、果てには今頃燃え尽きて演奏への情熱を失っていたかもしれないと思う。そう考えるとよっちゃんには本当に感謝しかない。そう思いながら三人バージョンの「割礼」をスタジオで演奏していました。

 ここ数回、表面的な狙いだけではない、音楽的な狙いを掘り下げる公演を毎回やれていて、充実感が身体にあふれるのを感じる。素材の可能性を調理によって拡張するっていうのがシェフの腕のみせどころならば、音楽家にとってもまったく同様のはずで、それが今の自分のやりたいことなんだと再確認。  新しくもないものをさも新しそうにみせるようなダサいやり方が溢れてる昨今、まったくそういうものとは別次元で自然とやれてることを実感できている。音楽には新しいとか古いとか本質的にはないから。「今」があるだけだから。

 とりあえず僕は演者の言うことなんで真に受けてもあまり意味がないとも思っている類の人間ですが、13日のライブのことを解説として書いてみました。  最近はとにかく一回一回のライブをがっつり気負ってやる。成功も失敗もまるっと受け止めてやっていく。そんな感じです。まっすぐ見守ってもらえると嬉しいです。

 当日のBGM。単純に前日の気分で選びました。

 来月は「People In The Jukebox」と題してみなさんのリクエスト曲ばかりをやるワンマンライブです。投票はこちらから。20日までやっています。一昨日会場で発表された中間発表見ましたが、まあ見事に当日のセットリストと一曲もかぶりがありませんでしたね。曲によってはちょっと気が重いですが(笑)、全力で演奏します。

(20160515)